皆さんが、プロフィールとしてプログラムに書くようなことは書きません。

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作曲家協議会会員、国際芸術連盟会員です。(2014年現在)ほかは、やめております。

作曲については、現代に生きるものとして「自分」としてやるのみで誰の物まねでもありません。
そもそも多くの作曲家がいうように、作曲とは本来習えるものではありません。(こういうと、勉強は!と鼻息荒く言う人がいますが、普通に考えてのことはやってるのが当たり前ですので語りません)

ピアノ作曲などは、転勤族の娘であったためにいろんな人に習いました。名前を失念している方もいます(申し訳ありません)。斎藤登先生は、ショスタコービチとどうやって縁をもったのか、今では聞くすべもありませんが、齋藤先生は指揮者でも作曲家でもあったので、そういうところでショスタコービチと何かしらやり取りをしていたのだと思います。この事実は、この音楽界では何故か殆ど知られておりません。私が斎藤先生の元を離れるときに、先生の作曲した曲にショスタコービチがその曲に関しメッセージを書いたものを写してあるのをいただきました。小さかったので、その作曲家がどんな人かわからずでしたが、今私はロシア音楽が大好きなのを想うと、その時大きくなかったのが残念でなりません。


斎藤先生はピアノ音楽の教育にとても熱心でした。日曜に、ピアノレッスンとは別に、生徒たちが調音のためだけに行きます。三回弾いてくれてそれを書いて先生の元へもっていくというものですが、後々思うと、そのレベルはものすごいものでした。私はその中でしか経験していなかったことなので「普通のこと」だと思っていましたが。NHKのテレビに先生が生徒とともに出演依頼を頼まれましたが、それでは生徒の進み具合が遅くなるといって簡単に断るくらいです。知名度やなにかなんて本当に関係なく、純粋すぎるくらい「音楽の人」でした。子供の頃に習えたのは光栄でした。もちろん、小さいころは、ピアノは厳しかったので、一週間に習う4曲を3回失敗しないで続けて弾かないと終わらないのが毎日の練習でした。が、外では子供の遊ぶ声。もちろん練習が一番でしたから小さいころもあまり同級生とは遊ばなかったです。もちろん楽しく遊んだことはありますが。子供だから、ちょっとずるしようと、そのうちの一曲の2回目を一部間違えても、間違えてないふりをしたら、母がしっかり聞いていて、さっき間違えたのだから、3回連続はやり直しよ!といわれたので、ちょっと機嫌が悪くなって、「お母さん弾いてみたらわかるよ」みたいな口答えをしたら、次のレッスンに先生に「ちくられ」、もう先生に私は怒鳴り散らされました・・・。お母さんに言うとは何事だ!ということと、自分の失敗を言い訳するな!ということと何かでした。
これはまだ小学校あがったか上がらないかの子供には強烈で、とても勉強になったのを覚えています。たまたまその時住んでいたところの隣がお寺で、よく住職さんと二人で、住職さんが履き掃除を終わったくらいの時に色々お話ししていたりしたのですよね・・。子供でもしっかり相手してくださったあの方は今はどうしていらっしゃるのだろう。
仏教は身近にあったのに、今は随分違ってきましたね。

大人になって作曲を習ったのは、今はどんなのをみんな作っているのだろうということから。堀切幹夫先生や黛敏郎さんには、本当にいろんなことを学びました。作曲は、音楽以外のことで学ぶことが本当に多い。人生そのものが哲学であるあれです。

澁澤龍彦さんのお家に若いころひょんと「ピンポーン」してから文学や美術のかたとの楽しい日々など大人が大好きだった私はすっかり大人になりましたが、それでもまだ若さより成熟を好む性格のようです。

私が現代音楽のコンサートに初めて行ったときに聴いた忘れもしない(作曲者は忘れた。そんな程度です)延々5度のヴァイオリン。10分。プログラムには饒舌な解説。幻滅でした。私はこの世界のために、こういう世界に戻りたいと会社を辞めたのか(伊藤忠商事勤務しておりました)。いや、私はこういう世界に足を入れたいんじゃないと。
まあそれからは色々色々。


でも地球においては
「自分の世界を作れたらいい」
どんなジャンルもその一言に尽きると思います。

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