作曲家 Asakoの日々(mi vida)

主にここは、私のお勧めしたい美術や音楽などの案内を載せています。 近頃は、フェイスブックなどでご自身で宣伝される方も多くなりましたので 私の曲を演奏してくださる方たちに、私の日常からくる何かをお伝えできるよう、自分のことをたまに載せています。 (ここにある個人写真は許可を得て掲載させていただいております。 ご本人様以外の方は、ここにある写真の無断転載・転用は禁止させていただいております。 ちなみに、リンクはご自由です♪ メールはプロフィールのところ、ホームページトップにございます。 なお問い合わせののメール等、お名前とご連絡先の書いていない 一方的なメールにはお返事できかねますのでご了承ください)

私が教わってよかったもの

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東京文化会館 モーニングコンサート そして、楽譜の暗譜について。

明日ですが。ピアニストの本山乃弘さんが
東京文化会館モーニングコンサートにて、モーツァルトのピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」とショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を演奏されます。

モーニングコンサートは小ホールで、500円です♪早起きは三文の徳!です♪
11時から12時です。会場は10時半。

是非足をお運びください。

私常々思っているのですが、時代も変わり、元気な大人が増えたのに、どうしてコンサートは夜7時からなどが多いのかということ。もちろん夜にあってもよいですが、だんだん治安も不安定になってきた感じですし、午前中にあってもよいですよね。10時でも9時でも。いろんな生活サイクルの方がいらっしゃるのですので。そして、1時間くらいというのはちょうどいいですね。
私が企画した折には、多分そんなことも取り入れると思います。 

全く関係ないですが、ピアノの暗譜はどうしたらよいのだろうということが、たまに大人になってから発表会などの機会を持たれる方の口から発せられますよね。いつだかも、書いたと思いますが改めて書くと。

そういうことをピアニストNさんと話したことが。
私も「暗譜しよう」と譜面とにらめっこしたことはありません。
ピアニストさんと話して「そうよね」と一致したのが「その曲を何百回も弾いて練習した」ということです。
小さいころは、ピアノを習えば、必ず最後は「暗譜」は当たり前という感じで、楽譜なしで弾かされました。ピアノは弾きこめば、手が覚えているものです。ただ「うろ覚え」のところもあるわけです。仕上げの時に、譜面をはずして弾いてみますと、どこかで「どうだったかしら?」と思うところを練習すればいいと思います。練習始めたばかりの頃は、譜面を注意深く読んでいるようで、ある時点からは、「弾きにくいところ」のみに神経が行ってしまい、案外さらっと譜面を読んでいたりしますよね。そういう意識していない「うろ覚え」をさらえばいいのです。
実際のピアノを弾く人の頭の中は、目の前に譜面がなくても写真のように「そのページごと」が浮かんでいます。なので譜めくりしているように、ページも頭の中で動いていますし。

しかし、いつだか、 舞台のうえで本当に真っ白!になったことがありました。
自分の心の中は、「これはもう手が止まらないことを祈る」でした。
無事止まらなかったわけですが、その時に、本当に弾きこむことの大切さを思ったわけです。
大体、ピアノというのは、最初は譜読みして一音一音大事にして弾いて、それからアーティキュレーションなど加えて行ってという時には、変に肩に(実際に)力が入りますが、だんだん自分のものになってくると肩の力も抜けます。そのくらい最低弾きこんでほしいなと思います。そして、変に感情を込める必要はありません。 楽譜にすべてが書いてあると。感情をやたらと身体で表現しながら弾くのは、聴衆には滑稽に見えると。(私の師、齋藤登先生がかなり厳しくおっしゃっていました。楽譜を忠実に弾くだけでよいのだと。この言葉には深い意味がありますが、ここでは割愛します。

これは作曲家でもあった齋藤先生の言葉として私が作曲するようになり、どこか重くのしかかってくるものです。

あくまで私個人が習って「なるほど」と思ったことを書いていますので100人いれば100通りの考えはありますが、その一つの考えと受け取ってください。
ピアノを楽しんでくださいね。
 
 

ピアノを弾くときの手の置き方。

確かに聞かれれば、大人になってから独学で始める人は、わからない、もしくは悩むところのものでしょうね。

あくまで、私の師事した先生の教えですが、朝子のピアノ教室の方は(笑)これにして下さい。


まず、手を握って、鍵盤の上にもっていきます。
あ、その前に、まず、腕と肘とピアノの具合ですが
ピアノの鍵盤を押していない状態で、肘は直角。
脇はきちんとしめてください。
肩には力を入れないように。
バレエの姿勢と同じですね。

私は幼稚園の頃は、身体を腕が開かないように縛られていました(笑)
最初から開いては、音量に差し支えます。
自然と開いてしまうので、注意してくださいね。

音を「開く」ときに「抜く」ときにの感覚が違うので。


これが基本です。
その状態で、手をグーにして鍵盤の上で、ゆっくり開きます。
どこまで開くかというと、卵を持っているような感じです。

以前、テレビで衝撃映像をみたのですが、
指は鍵盤に対して「なでるよう」ではありません。

関節をきちんと曲げて、その卵を持ったような感じで指の先端は鍵盤に直角。
あとの関節は、自然と曲がりますよね。

その具合で、一つずつ上から下へ動かします。

おわかりになりましたか?
以前にも書きましたが、椅子には「座る」というのではなく、「腰かける」という程度です。
そうでなければ、ピアノと平行に動けません。←基本この形です。やっていっていると自然と崩れますので、まだピアノを始めたばかりの人は、練習の時は意識しましょう。

指の第一関節は、曲がっているか確認しながら。

手首は、動かさないように練習しましょう。(上下に)

以上。
 

ピアノ楽譜の暗譜について

さて、メールでのご質問がありましたので、
「ピアノの暗譜をどうやってしたらいいかわからない」というかたも、中にはいらっしゃるかもしれないと、良い機会なのでここに記そうと思います。

小さいころからピアノをやっていた人には関係のないことだと思いますし、同じように思われることと思いますが。


ピアノの暗譜の仕方。

ずばり、何百回も弾く!です(笑)

驚かれましたか? 以前、ピアニストさんともそういう話になった時に、どうやって暗譜していたっけ?と。
結局、特に10代までは「暗譜しなければいけない!」などと考えたことがありませんでした。

もちろん、先生には「来週は暗譜してくるように」といわれても、楽譜なしで弾いて「うろ覚え」な箇所何個かをチェックするくらい。
どうしてかな?そう、それまでに毎日毎日何時間か練習するわけで、そのときに「暗譜しよう」などとはつゆほども思っていず、とにかく練習ですよね?
いつのまにか、かなり弾きこなしています。ピアノに向かっていないときも、自分の引っかかるところは、ふと思い出したりしたりして。

一度だけ、舞台で頭が真っ白になったことがあります。
そのとき「あ~、この指が止まったらおしまいだ・・・」と。そのくらいピアノをやる人は弾きこんでいます。

過度の緊張という人もいますが、そういう人はおいておいて。

ただ大人になると、何百回弾かなくても、初見でかなり弾けますし、それを弾きこなすにも幼少~10代くらいのように時間はかかりませんので、そうなると「暗譜しなければ!」という場面が出てくることもあるでしょう。

そういう時はひたすら、弾いてみてつっかえるところをしっかり覚える。

そんな風ですよね。
参考になりましたか?

その他多数「なってません!」

といわれそうですが・・・。

音楽の専門家でない人が「暗譜をしているってすごい事」と思っている方が多いのと同じように「勢いのある激しい曲は静かな曲より難しい」と思っているのと同じくらいの誤解があります。

暗譜がピアノの目的ではないのです。

理由はともかく、晩年楽譜を見なければ弾けなかったリヒテルは、いかがでしたか?
「素晴らしい演奏」でしたよね。

タイトルからはずれますが、暗譜というのは大したことではないというこです。(ピアニストを目指す方は普通に出来てくるので大丈夫ですが)

そこに力を入れるならば、「そのスコアが何を表現していて、それをきちんと自分が表現できるか」に集中した方がよいですね。

過日、Poulencの曲のピアノ演奏をYouTubeで観ました。
プロの方のようですし、拍手もすごい。
しかし、客観的に拝見すれば、これが初演なら「プーランク、つまらない曲を書いたな」となりそうなものです。本当に演奏家によって曲は変わります。いかに、その曲をその曲らしく、また、作曲家の作品を伝えるか。皆様頑張ってください。
 
私のピアノの師匠は「お前がそこに感情を入れるのは、まだまだ早すぎる。(いや、もちろん小学生ですので、もっともです・・はい)すべては楽譜に書いてある。その通りに弾けばよい」と言ったものです。とても深い言葉でいまだに心に残っています。 

独り言

私の最初のピアノの先生は

齋藤登先生。

転勤族の娘でもあったので先生は結構変わりました。



しかし、この先生に教わったものは本当に大きい。

既に小学校あがるか上がらないかの頃、ソナタ形式とかバロックとか習ってるのね・・・当時の

色々な楽譜をみると先生の字で書いてある。もちろん幼少の私には

そのまま入れるしか仕方なくて。

しかしそのほかにも人間的なこと、自然のことなど

様々に教わったことは大きすぎるほど。



そんなこんなしてたら、先生のもとを離れるときにいただいた一冊。

先生の作曲したピアノソロの本が出てきました!(驚)

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連絡を10年前くらいしても見つからずで

どうしていらっしゃるのか。



それは厳しかったです。大人ですから練習してこないのは一目瞭然ですよね、生徒の弾きかたをみると。そうすると容赦なく親は家の中、子供はわめこうが泣こうが外。私のレッスンの前の子が一度そういうことがあったので、私は一度も練習をサボらず行きました(当たり前ですが)。ただ4冊(たいてい四曲が課題でしたから)すべて家で練習でも3回一つも間違わずに弾けないとやり直しなのです。ですから親はしっかり聞いてないといけませんから。最後の最後で失敗するとがっくり来たものです。また最初から3回通し・・・(TωT)

で、いつだか親に少し反抗的に言った事がありましたが、もちろん先生にレッスンのときに言われ、そしたら先生が「練習中親に向かって言うとはなにごとだ!親に言うとは先生にも言っていることだ」と厳しく叱られました。当たり前ですが・・。

聴音も毎週日曜日、これは小学6年までと、中学と色々別れていましたがそれでもまとまってやります。3回ピアノを先生が弾いて早く先生のところへ持っていって丸をもらう。そんなやり方でした。上級生などは下級生のやっている姿を後ろで見ています。



あとで親に聞けば、先生のところに来た人は先生が手を抜くことなく一応すべてピアニストを目指すという趣旨でやっていたそうです。

聴音も小さいころからすると簡単なものです。

だから試験の聴音の見本を受験のときに取り寄せたりしたことがあったのですが正直「これでいいのか」という驚きを覚えました。

そのとき、先生は本当に手を抜くことなく厳しくやっていたんだなと思ったものです。

何気なくこの楽譜の見開きにはショスタコーヴィチの手紙が印刷されています。



もちろんこの曲への感想を書いた手紙です。

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そして中には翻訳。

今では知る由もありませんが、先生はショスタコが好きだったから手紙をしていたのかな?どうなのかな?ということを聞いて見たかったです。

個人的には幅広くやったプロコフィエフのほうが私は好きですが、黄金時代やらいろんな曲を弾いていて、楽しい!汗かける!なんて思える数少ない好きな作曲家。



で、先生の略歴をいまさら見ると(当時私はまだ小学生でしたから、先生に5年くらいしか習っていないのでは?幼稚園からですので)

明治の終わり近くに神戸市に生まれる、とあります。

ちょっと書いてみましょう。



ピアノをクセニヤ・コンパニオン夫人、作曲をエマニュエル・メッテル氏と諸井三郎氏、指揮をローゼンシュトック氏に学ぶ。宝塚歌劇団に楽長・教授として8年在職する。NHK・BK(大阪)作曲、指揮委託となり1951年東京に移住後はAK(東京)で放送音楽に没頭する。1967年訪ソ音楽教育視察団に参加、モスクワ、レニングラード、ハバロフスク等の音楽教育施設を見学する。1968年5月茅ヶ崎市にサイトウ・ミュージックアカデミーを創設し、幼児の音楽教育に専念する。兵庫県文化賞をうける。など。



なるほど。神戸の方だったのですね!

当時の海外は今と違っていくのも大変でしたでしょうし。

なるほど(自己確認の日記だな~)アカデミー創設して

あまり経たないうちに私は習いに行ったのだわ。

厳しかったから。脇が小さいころ甘くならないように

腕を紐で縛られたし(おうちでも)

よく間違うとおうちではぶたれたし。

練習が終わらないと遊びにはいけないし。

何が何でもピアノ!の生活でしたね。

レッスン室は当時としては大きい窓ガラスが一面で、

グランドピアノが二台あり、その奥には段のある和室(

先生がそこから見ていることもあった)ピアノの後ろは

日曜も集まるからでしょうか、広ーいスペースでした。

その辺りくらいまで覚えています。



少なくとも先生と初めてお会いしたときの10倍は歳を取ったのだなあ~

としみじみ・・・。意味はなし。

音楽をする子供たちに教えていた先生の言葉

いい曲を聞かせなさい。くだらない曲は聞かせることはない
子供の親たちに言っていた言葉。
これはものすごくいいところをついていると思います。

上手く弾こうとするな。

ピアノを習っていた人なら誰でもが言われたことのある言葉ではありませんか?
私が小学校2年くらいのときの、発表会前にピアノの先生に言われた言葉です。
「その歳で上手く弾こうと思うな。上手くないのだから。そんな風に思っていいのはずっと遠い先だ。もしかすると一生ないかもしれん。楽譜に忠実に弾け。楽譜には全てが書いてある。奥まで読むことがきちんと弾けることである」

こういうように、怒鳴られたときはすくんだが、しかしこの言葉は小さいなりにとても残った言葉だった。
これらの言葉は、真実であり、また逆説的な意味を持っているだろうな。

上手く弾こうとするということは(そういうつもりはなくても、音で先生はわかるのでしょう)上手いプラスアルファなわけですものね。
上手く弾こうとするから緊張する。忠実に弾こうとすれば緊張しないと思ったのでしょう。それもありますよね。確かに緊張はしませんでしたから、自分を上手く「見せよう」としないのですから。

この先生は「上を見ろ、下を見るな」ともいったし、付き添いの親たちには「いい曲をどんどん聴かせましょう、しかし下らない音楽は聴かせないこと」ということも言っていた(母談)
徹底したスパルタだった。小学校低学年なら、もうソナタ形式とかいろんなことを説明されている時期だし、いろんな意味で、指揮、作曲の先生だったなあと。
いわゆる、教育的なテキストというのもあるにはあったが、バイエルだって赤い本など私は大きくなってからその存在を知ったし、彼のきちんとした「段階」というものをやらされていたから。

その一方でもう一人の(当時は二人の男の先生についていたので)ピアノの先生はとても優しく、レッスン前に今週はどういうことがあったのか、またどういう風景をみたのかとか色々お話を聞きだしてくれた。この先生は、大好きで一緒に、詩を即興で作ったり、それこそピアノで即興で感情をお互いに交換したりと。
そういう意味では、ピアノの先生(他の楽器の人もそうかもしれないけれど)というのは、教えるときも「強く」「弱く」なんて単純に言わないですよね。
もっと情緒を育てるためにいろんな表現で指示しますよね。
そうやって情感を鍛えられます。よって普段の生活を大事にするし、ふとしたことも見逃さない、そんな視点を演奏を習う人は先生から教えられているのかなと思うわけです。

学生の頃、作曲の先生に「今日の木をみてどうだった」と庭の木の事を言われ、さーっと何も見ずにレッスン室に入ったので、怒られたこととか(当然ですが、また、たまたま見ていないときにきかれたりと。そんなものですよね・・・。)懐かしいです。
私はよくいろんな風景や景色を見ていると思っているのに、「思っている」からこそ見ていないんだなあとよく自己反省させられたものです。

私には達成感というのがいまいちわからないのです。
もちろん仕事でもなんでも「終わった」ということはあっても、それが達成感と感じるまでの満足感に繋がったことがない。

自信があるんだね、と大人になってから言われたこともありますが、
その自信が「ある」「ない」ということもわかってないです。
ここにある自分が全てですから、それを否定したり極度に肯定したりということがないです。

ある。

いる。

それだけのことなんですよね。

ピアノの椅子の腰掛け方

ピアニストではありませんが、ピアニストになろうと一生懸命だった3歳から20代までに教わったなかで、私がとても理にかなっているというものを、折角ですからピアノを趣味で弾く方にもお伝えしたいと思いました。独学でも音楽というのは立派に出来るものだからです。ただ演奏の場合、やはり客観的に聞いてくれる誰かをつけるのがベストです。

一言ずつです。たまにアップします。あくまで私の今まで生徒に教えたこともある指導の一つです。

最初として、椅子です。

よほどの天才でない限り、ピアノの椅子に深く腰掛けるべきではありません。
ずっしり腰をかける人がいますが、それでは常にピアノに平行でいられる確率が低くなるから音を外す可能性が増えます。

よって、お尻をちょっと乗せるだけ、それが基本です。
座るものではありません。常に鍵盤と平行になれるよう「腰」で調節します。
これはとても大事だと思います。それが音を確実に押さえられる基礎となります。

最近とても深くヨイショとかける人がいますが、私は腰掛の指導も変ったなと思いましたが、いつぞや中村紘子さんの説明を聞いたとき、同じでありました。
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