初めて知ったのは、私の曲を聞いてくださって、「いい線をいっている、これからもその調子でがんばって」ということからのお付き合いでした。他の、映画監督をされていた某氏も黄泉の国へ。

とても褒めてくださり、あんなにも実力、行動力、才能、努力を持ち合わせて、現代音楽に留まらず、その複数の語学力を生かし、有名無名関係なくワールドワイドなお付き合いを多数の方とし、本人が三十代のまだ若い頃から、若い世代に無償でまだ知られていないものや、色んなことを教えたり、とにかく彼がいなければ今の海外の作曲家との繋がりは、ない部分がたくさんあります。

彼の現代音楽への貢献は、きっとご家族や私、そしてごく親しい人が知っていて、こうして声をあげることしかないとも思っています。しかしながら、それを書くには、書ききれないほどありますので、こういう所では無理ですね。

彼がベッドの上でもタクトを振っていたり、音楽への純粋な眼差しをもっていたのは、本物の音楽家だったからです。
病院に入院するとわかりますが、一日の長いこと。どんな気持ちで毎日過ごされたのでしょうか。

私と同じ年齢なのに、本当に残念です。彼も無念だっただろうと、お母様もおっしゃっておりました。

同じ業界でも、心の支えとなってくれた数少ない一人の方。
生前の膨大なやり取りは、この業界においての色々なこと、ジャンルの違ういろいろなこと、まだ日本では翻訳すらされていないいろんな理論のことなどなど

私は、専ら「浮かんでくるのを書くだけよ」と業界の人とは音楽談義なんてしたくないので、ある意味知らない頓珍漢な人的に見られるよう努力したものです。
しかし、彼と故高橋東悟さんとは真剣に!(意外と思った方多いはず)話したことを思い出します。

と書いてみても、もういないという現実は、私を苦しめます。
いろんなことが頭をよぎります。
「現代音楽」に何十年か関わって、色々想うことがあり日本では全く発表せず、アメリカのみでやっていましたが、そろそろと思っていた矢先です。

私が音楽で悩むことを本気で語れる人は、これでいなくなりました。

みんな、早すぎますよ。


でもきっと、この生き難い地球というところで、頑張りましたよね。
私は子供のころから他の惑星の人間だと思っていましたし、今でもそうで、ひとり同じ人がいます。
何かあるんだろうなと、思いますね。被り物をして、地球に合わせて生きている人たち。


ここまで書いて、何も浮かびません。

貴方の死は、おそらくずっと引きずります。どんなに楽しいことがあっても、もう心からの笑顔は作れないと思います。

貴方とあの時、お会いできてよかった。写真が嫌いなあなたが、一緒に撮ってくれてよかった。

貴方は、縁の下の力持ちなんて言葉ではなく、本当の音楽家だった。ギリシャ語も素晴らしく、哲学者らしい哲学者だった。でも、貴方に一番教わったことは「優しさ」と「素直さ」です。

まだ涙は止まりませんが、そのうち、「なみだもろさ」は、ロラン・バルトのいうように消えるのでしょう。

本当に有難う。やすらかに、そして、そちらにいる好きな人たちと、音楽を楽しんでください。

合掌