お知らせがたくさん滞ってすみません汗終わってしまったのもありますし・・。

さて、

高城君から映画のお知らせです。

高林陽一監督作品で高城君が主演している「涯てへの旅」という映画がポレポレ東中野で3/29~4/11まで公開されます。

初日は舞台挨拶や高林監督さんやゲストなどによるトークショーや高林監督の過去の作品のオールナイト上映などもあるようです。

ぜひお楽しみくださいね。
詳しくは高城君のブログにも載っています。

チラシにはビデオで作成する意味を持って撮ったとのこと。それがきちんと撮られれば「ビデオで撮られた映画=フィルムで撮られた映画の廉価版」といわれなくなるのではないでしょうかとのことです。まさしく、ただ上面の映画だけを目指す人ではなく、しっかり「映像を伝える」ということを考えている人だからの発言ではないでしょうか。

ロシアのアニシモフ監督さんのお芝居の案内も後日差し上げます。
私は友達の出演した「桜の園」しか観てないんです。
宮沢賢治の原作のがお勧めだそうです。


今の私はこのチラシに書いてある高林さんの言葉に深く反応してしまいます。
特に最初の「分かり合える仲間」のことです。
私はなんだか作曲ということをしていますが、作るもの自体はほとんど自己満足ですよね。どんなに人様に書いたとしても。とはいえ、聴く方を想定して、弾く方も想定して(想定できる状況なら一番いいです)ですが。
それで、穏やかに皆でやることがいいのだとあるところでは思っていました。
しかしながら、そこに集まる人は有志ではありません。

私が今望むのは有志です。
そこには私がスポーツをしていた頃の精神を望みます。
団体競技に若い頃教わったことは、人の失敗も自分の失敗とする。
これが一番大きいです。

要するに、一緒にやっている仲間の一人でも「これをしたら自分は云々」というそういう勝手な人のいない純粋に音楽を一緒にやる仲間として活動したいということです。
もちろんそれぞれの専門はありますので、それを尊重するのは当たり前ですが、あくまで分かり合える仲間です。自分で密かにとか名声とかそういうものを望んでいる人とはやっぱり一緒には出来ないなあと実感しているのです。そしてなにより大事なのは意思疎通の出来る人ですね。
一緒にいて何を考えているかわからない人というのは、そういう場には混乱させるだけですし。

なーんてことも考えてしまったのは、昔は「気の合う仲間」というのは、ちょっと間違えば単に甘えで通る仲間、なんとなく気軽にそばにいる仲間という感覚もあったからです。
しかし、違う意味での「気の合う仲間」ってやっぱり存在するよな~とふと思って。




チラシに書いてある言葉です↓ちなみに高林さんのホームページはこちら
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「今の自分に出来ることは。少ないスタッフで分かり合える仲間(スタッフ、キャスト)とビデオで作品を作ること。1,2億の作品をフィルムで作り、上映することではありません。決して予算がないからビデオで撮ろうというわけではありません。ビデオでしか表現できない作品があるのではないかと思い撮っています。勿論、フィルムはさばらしいですし、残ってほしいです。ただ、ビデオは、フィルムと違って、400フィートという制限がなく回しっぱなしで60分撮れる媒体なのだから、その特性を生かした撮り方があると思います。そうすればビデオで撮られた『映画』
、フィルムで撮られた『映画』の”廉価版”といわれなくなるのではないでしょうか。(2008年1月21日 高林談 京都にて)