これは以前も一度書いた事だけれど、昨日の日記にも繋がりますが、やはり自分のことが一番自分が分からないように、自分の作品を客観的に見るのは正直難しい。
ピアノだって、そりゃ、ラフマニノフやプロコフィエフ、ショスタコみたいに上手い人がいますが(ダントツは、わたしが聞いた中ではラフマニノフですかね。あの素晴らしく大きな手、私の一関節多くあったし)自作を自分の通りに演奏できるか、表現できるかといったらどうだか。コンサート会場ののみこみの速さ、またホールの響き方などしっているのも、プロならでは。
まあ、自作自演は昔はよくあったものですが。

お金のこともありますが(^^;

まあ、皆さん周知の通りでございます。

そして、作曲を通して私が感じるのは、自分の作品への新しい解釈。
これが発見できたときは嬉しい。
これが前日書いた「私は口をださない」の一つの理由です。「プロ」が弾いてくれる訳ですから、いろんな経験もあり、そして人間的にも尊敬できる人の解釈は実は楽しみであったりする。
私は頭の中で確実に鳴る、とういうことと矛盾するが、バレエを書きたいのは何も自分の作曲のエゴではなく、どういう解釈をされるか、あからさまに出るからでもある。
そして、昔からどちらかと言うと私は裏方が好き。バレエをやってもフラメンコをやっても、ピッチャーをやってもそれなりに負けん気はでるが、それがいつもしっくり行かない。
フラメンコなんか、カンテ、またはギターの方がカッコイイし、踊りだって女性より男性の方がもっとかっこいい笑顔

話しが外れましたが。自分が主役になって、「どうだ、これが私の音楽だ」なんて間違っても私にはありえない。
BGMで充分。というか、それはとても大事な一部でもあるとおもう。なんにつけ「普通」って実は一番難しい個性だと思っているのは、昔から変らない。いまだって、コンサートで自分の曲が流れるのを一番どきどきしているのは自分なのは分かるもの。本当は、いつも「そこ」にいたくないくらい困った

その辺にいる「普通」の人たちがどんなに素晴らしいものか、いつも思う。

だからこそ、わたしは人を見るとき肩書きではなく、いつも「その人」を見るというのは、HP開いてからも一貫して言い通している。

素晴らしい人は、別段「特別」なことをしていなくても素敵な人なのだ。(バカボン)