明日ですが。ピアニストの本山乃弘さんが
東京文化会館モーニングコンサートにて、モーツァルトのピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」とショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を演奏されます。
モーニングコンサートは小ホールで、500円です♪早起きは三文の徳!です♪
11時から12時です。会場は10時半。
是非足をお運びください。
私常々思っているのですが、時代も変わり、元気な大人が増えたのに、どうしてコンサートは夜7時からなどが多いのかということ。もちろん夜にあってもよいですが、だんだん治安も不安定になってきた感じですし、午前中にあってもよいですよね。10時でも9時でも。いろんな生活サイクルの方がいらっしゃるのですので。そして、1時間くらいというのはちょうどいいですね。
私が企画した折には、多分そんなことも取り入れると思います。
全く関係ないですが、ピアノの暗譜はどうしたらよいのだろうということが、たまに大人になってから発表会などの機会を持たれる方の口から発せられますよね。いつだかも、書いたと思いますが改めて書くと。
そういうことをピアニストNさんと話したことが。
私も「暗譜しよう」と譜面とにらめっこしたことはありません。
ピアニストさんと話して「そうよね」と一致したのが「その曲を何百回も弾いて練習した」ということです。
小さいころは、ピアノを習えば、必ず最後は「暗譜」は当たり前という感じで、楽譜なしで弾かされました。ピアノは弾きこめば、手が覚えているものです。ただ「うろ覚え」のところもあるわけです。仕上げの時に、譜面をはずして弾いてみますと、どこかで「どうだったかしら?」と思うところを練習すればいいと思います。練習始めたばかりの頃は、譜面を注意深く読んでいるようで、ある時点からは、「弾きにくいところ」のみに神経が行ってしまい、案外さらっと譜面を読んでいたりしますよね。そういう意識していない「うろ覚え」をさらえばいいのです。
実際のピアノを弾く人の頭の中は、目の前に譜面がなくても写真のように「そのページごと」が浮かんでいます。なので譜めくりしているように、ページも頭の中で動いていますし。
しかし、いつだか、 舞台のうえで本当に真っ白!になったことがありました。
自分の心の中は、「これはもう手が止まらないことを祈る」でした。
無事止まらなかったわけですが、その時に、本当に弾きこむことの大切さを思ったわけです。
大体、ピアノというのは、最初は譜読みして一音一音大事にして弾いて、それからアーティキュレーションなど加えて行ってという時には、変に肩に(実際に)力が入りますが、だんだん自分のものになってくると肩の力も抜けます。そのくらい最低弾きこんでほしいなと思います。そして、変に感情を込める必要はありません。 楽譜にすべてが書いてあると。感情をやたらと身体で表現しながら弾くのは、聴衆には滑稽に見えると。(私の師、齋藤登先生がかなり厳しくおっしゃっていました。楽譜を忠実に弾くだけでよいのだと。この言葉には深い意味がありますが、ここでは割愛します。
これは作曲家でもあった齋藤先生の言葉として私が作曲するようになり、どこか重くのしかかってくるものです。
あくまで私個人が習って「なるほど」と思ったことを書いていますので100人いれば100通りの考えはありますが、その一つの考えと受け取ってください。
ピアノを楽しんでくださいね。
東京文化会館モーニングコンサートにて、モーツァルトのピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」とショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を演奏されます。
モーニングコンサートは小ホールで、500円です♪早起きは三文の徳!です♪
11時から12時です。会場は10時半。
是非足をお運びください。
私常々思っているのですが、時代も変わり、元気な大人が増えたのに、どうしてコンサートは夜7時からなどが多いのかということ。もちろん夜にあってもよいですが、だんだん治安も不安定になってきた感じですし、午前中にあってもよいですよね。10時でも9時でも。いろんな生活サイクルの方がいらっしゃるのですので。そして、1時間くらいというのはちょうどいいですね。
私が企画した折には、多分そんなことも取り入れると思います。
全く関係ないですが、ピアノの暗譜はどうしたらよいのだろうということが、たまに大人になってから発表会などの機会を持たれる方の口から発せられますよね。いつだかも、書いたと思いますが改めて書くと。
そういうことをピアニストNさんと話したことが。
私も「暗譜しよう」と譜面とにらめっこしたことはありません。
ピアニストさんと話して「そうよね」と一致したのが「その曲を何百回も弾いて練習した」ということです。
小さいころは、ピアノを習えば、必ず最後は「暗譜」は当たり前という感じで、楽譜なしで弾かされました。ピアノは弾きこめば、手が覚えているものです。ただ「うろ覚え」のところもあるわけです。仕上げの時に、譜面をはずして弾いてみますと、どこかで「どうだったかしら?」と思うところを練習すればいいと思います。練習始めたばかりの頃は、譜面を注意深く読んでいるようで、ある時点からは、「弾きにくいところ」のみに神経が行ってしまい、案外さらっと譜面を読んでいたりしますよね。そういう意識していない「うろ覚え」をさらえばいいのです。
実際のピアノを弾く人の頭の中は、目の前に譜面がなくても写真のように「そのページごと」が浮かんでいます。なので譜めくりしているように、ページも頭の中で動いていますし。
しかし、いつだか、 舞台のうえで本当に真っ白!になったことがありました。
自分の心の中は、「これはもう手が止まらないことを祈る」でした。
無事止まらなかったわけですが、その時に、本当に弾きこむことの大切さを思ったわけです。
大体、ピアノというのは、最初は譜読みして一音一音大事にして弾いて、それからアーティキュレーションなど加えて行ってという時には、変に肩に(実際に)力が入りますが、だんだん自分のものになってくると肩の力も抜けます。そのくらい最低弾きこんでほしいなと思います。そして、変に感情を込める必要はありません。 楽譜にすべてが書いてあると。感情をやたらと身体で表現しながら弾くのは、聴衆には滑稽に見えると。(私の師、齋藤登先生がかなり厳しくおっしゃっていました。楽譜を忠実に弾くだけでよいのだと。この言葉には深い意味がありますが、ここでは割愛します。
これは作曲家でもあった齋藤先生の言葉として私が作曲するようになり、どこか重くのしかかってくるものです。
あくまで私個人が習って「なるほど」と思ったことを書いていますので100人いれば100通りの考えはありますが、その一つの考えと受け取ってください。
ピアノを楽しんでくださいね。